「捕鯨」を巡る議論が熱い。
シーシェパードの妨害行動は論外としても、日本の捕鯨活動に、きわめて冷静な立場で反対する人は多い。オーストラリアとニュージーランドが、「日本が調査捕鯨を止めなければ国際司法裁判所に提訴する」と表明した。今の日本は、南極海で「調査捕鯨」を行っているが、その調査捕鯨すら認めない、という立場だ。もうクジラを捕ることは止めないか、と主張している。
日本政府、及び主なマスコミは「調査捕鯨はIWCが認めている合法的な行為であり、生態系には影響を与えない範囲で行っている。諸外国の反捕鯨の意見は幾分感情的であり、科学的ではない。食文化や資源政策上、そのような感情的な意見に左右されて、極めて科学的な実証に基づく権利を阻害するべきではない」、あるいは「牛肉は良くて鯨肉がダメな理由はわからない」という立場。 多少尖った意見の中には、「かつて鯨油のためにクジラを乱獲したのはむしろ西欧諸国ではないか。いま反対するなんてご都合主義的過ぎる」という意見もある。
⇒こういう、とても理性的な捕鯨議論の場もある。
・・・Ekojinの立場を明確にしておく。Ekojinは、現時点では捕鯨に反対だ。
理由はひとこと: 「国際世論を納得させる説得力がない。」
・調査捕鯨なら、食用にすべきではない。少なくとも、その目的が逆転している誤解を世界に与えている。
・科学的に「絶滅の危機がない」と言っても、それが国際会議の場で説得力を発揮していない。
・「クジラを捕るのは残酷」という意見が感情的であると同じくらい、日本側の「クジラを捕って何が悪い」という意見も感情的に映る。
・クジラを捕ることは、日本にとっても、あるいは世界の誰にとっても、必須ではない。
・・・複数の外国人の知り合いに詰められたことがある。
「日本人は、”調査”捕鯨と言いながら、結局喰ってるじゃん」
「何のために南極海に行くの?」
「資源がないからといって、クジラを資源と見なすのは飛躍しすぎ」
このひとつひとつに、いちいち納得する。上記リンクのサイトのように、捕鯨の正当性を訴える理性的なサイトを熟読した上での結論。
日本の捕鯨には理由がない。 特に、「食文化」及び「資源」というキーワードには説得力がない。
食文化???
もし食文化というのなら、「調査捕鯨」というお題目はなんなのだろう。
目的が違うのではないか。 少なくとも、そう思わせているのではないか。
調査捕鯨という名目で、結局食べる為に捕っている、、、、 と思わせてしまっているのではないか。
そして、クジラを再生資源と見なす意見もあるようだ。いわく、石油などは使えばなくなるが、クジラなどの生物は再生能力がある、と。
これこそおかしい。クジラである必然性がまったくない。クジラだとしても日本がことさら主張できる権益でもない。なぜ世界のクジラの生態系の調査主体が日本なのだろう。
国際法秩序からして、日本の捕鯨は分が悪い。 日本の言い分はあまり説得力をもって受け入れられてない。捕鯨の正当性を主張すればするほど、世界からは反発が来る。 そして、そういう状態である以上、どんなに納得できなくても従わなければいけないのではないだろうか。それが理性ある先進国の取るべきスタンスなのではないだろうか。
ともかく、イルカの殺し方すら非難の対象となっている現在、捕鯨を続ける理由は別にないように思える。 調査捕鯨は、いったい誰のためにやっているのだろうか。少なくとも、自分にとっては不要である。 これだけ世界の反発があるなかで続けるメリットを感じられない。資源の供給を含むあらゆることが、他のものに代替可能だと思う。 唯一、「捕鯨に携わる人たち」の雇用問題を除いて。
「調査キーウィ」や「調査サンショウウオ」や「調査バオバブ」や「調査ラフレシア」、、、を日本政府が積極的に進めない理由はなんだろう。何故「調査クジラ」だけが、こんなに手厚いんだっけ? 調査オランウータンとか、やってる? あれだって絶滅しかかってるよ。 調査スマトラトラは?
別にクジラに感情移入しているわけではない。殺すときに動物を苦しめることについては他の動物もそうだから、クジラについてのみ何かを思うことはない。クジラは知能が高いから殺してはいけない生物だとも思わないし、捕鯨が特別残酷だとも思わない。 ただ、捕鯨の正当性の根拠に説得力がない、と思うだけだ。
捕鯨を止める代わりに、何かの外交上の見返りを得ることも軽蔑しない。むしろそのくらいしたたかな外交であって欲しいと思う。
繰り返すけど、シーシェパードは論外ですよ。あれはテロリストなので。