'生物多様性' のアーカイブ

ベジタリアンの極論

食事の種類別の水の使用量:

ビーフ1食分     =1200ガロン
チキン1食分     =330ガロン
ベジタリアン1食分 =98ガロン

だから、みんな肉を食べずにベジタリアンになろう、という動画:

現在家畜に与えている穀物の量は、世界の20億人の人を飢餓から救える量。2008年の統計でおよそ8億6000万人の人が飢えている。 飢饉が減れば戦争も減る。 だから、家畜を増やすのはもう止めて、ベジタリアンになろう。。 という主張。

GO VEG, BE GREEN
(ベジタリアンになって地球に優しく)

というキャッチフレーズまである。
ちなみに、判りやすく「ベジタリアン」と訳したけど、原語ではVeganであり、これはいくつかあるベジタリアンの類型のなかでも、「純菜食主義」と呼ばれる「ヴィーガン」であり、動物由来のものを一切摂取せず、靴や衣服にも使わない。卵も乳製品も、ハチミツも摂らない。

自分はベジタリアンではないから肉も魚も普通に食べる。 だけど勿論、菜食主義者たちの嗜好は自由だと思う。マイケル・ジャクソンも確かベジタリアンだし、自分の周りにも何人かいる。 個人の食べ物の好き嫌いの話に留まるなら何の問題もない。 自分はチョコレートなどのカカオ由来の食べ物を食べない。干し柿やマシュマロはあまり好きじゃない。 そういうレベルの話であるならば。

だけど、肉を食べないで家畜を育てるの止めよう、という呼びかけには大いに疑問だ。 クジラは生物多様性の問題だけど、ウシやニワトリはそうではない。 ヒトは、何百万年の進化の過程を経て現在の雑食性を得たはずであり、体のつくりもそうなっている。ヒトには胃袋が4つあるわけじゃないし、犬歯も発達している。肉を食べるように作られている。 ヒトと家畜の関係も、生物種全体のバランスにさえ影響がなければどこに問題があろう。 家畜にしたって、多くのヒトを効率よく養うためにヒトが獲得した手法だ。 カッコウの託卵や、チョウチンアンコウのルアーや、風に乗って飛ばされるタンポポの綿毛と、本質的には何の違いもない。

問題があるとすれば、そういう人間の「工夫」が自然界でのバランスを崩し始めていることであり、肉食や家畜そのものではない、と思う。考えるべきは、肉食や家畜の是非ではなく、それらを前提にした資源再生可能性への工夫ではないのか。

種の進化は遺伝子と環境が決めるのであって、自分たちで決めるものではない、と思う。

鮪ではなくマグロに向き合おう

ワシントン条約締結国会議でモナコから提案されていた大西洋・地中海のクロマグロの国際取引禁止案は、賛否際どいとの下馬評を覆し、禁止を半年延期するというEUの「妥協案」もろとも圧倒的多数で否決された。 域内の意見の食い違いをまとめ切れないEUの構造的問題が再び露呈した形。結束した途上国の発言力が先進国を凌ぐ、という近年の温暖化問題の国際会議でもしばしば見られる構図がまたぞろ顕われた格好。


マグロの寿司
["Tuna Sushi"/Author:Akira Kamikura /cc-by2.0]

弱腰、隷従的、戦略欠如、、、などと酷評されることの多い日本の外交では近年稀に見る「圧倒的勝利」であり、国内大手メディアは揃って「日本の勝利」と伝えている。 禁輸賛成側の欧米各国のメディアも敗北と受け止めているようだ。

だがちょっと待て。

日本の外交当局がロビイを駆使し、大使公邸で各国を集めて寿司パーティーを開き、反欧米の途上国を取り込んでプロクシファイトをこなし、アメリカからの「多数派工作特殊部隊」が到着する前日に採決を強行させるなど、あらゆる手段を使ってしたたかに振るまい国益に適う国際的結論を導いたのは良い。外交とはそういうものだし、その動きにはむしろ快哉を叫びたい。

だけど、肝心の絶滅の危機に瀕している、とモナコが訴えたクロマグロの現状についての報道が非常に表層的なのは、自分にとっては驚きだ。

日本人はマグロを食べるから禁止されたら困る。今回外交の勝利だ。良かった

は、この問題の本質とは全くズレた話だと思う。 もしマグロが本当に危機に瀕しているのなら、どんなに日本人がマグロ好きでも獲ってはいかんだろう。なのに、経済新聞だけではなく、一般紙も含め、以下のような視点が欠如している、もしくは薄い(か、自分が見落としている):

今のマグロの現状はどうなのか。再生可能な漁獲量を保てているのか。もしそうであるのなら、何故モナコや他の各国はそうでないと言っているのか(クジラと違って知能が高い・哺乳類だから、という感情論は薄いはず)。 そして、最大の消費国としての日本は、食物資源としての鮪ではなく、生物としてのマグロにどう向きあうべきなのか」 

「経済」の視点を軽視するわけではないが、生物であるマグロを扱う最も基本的な視点はやはり「生物多様性」であるべきだと思う。経済はその次のはずではないだろうか。 

地球のいのちとヒトの役割

環境省が用意した生物多様性に関する動画。
例によって、「地球のいのち、つないでいこう」のキャッチフレーズを使っている。地球上の生物が互いに支えあっていること、人間も例外ではないこと、、、その相互依存の精神を、比較的身近な生物たちを紹介しながら説明している。「入門編」といった趣き。

・・・子供向けと侮るなかれ。今年2010年は国際生物多様性年。これからもいろいろなリテラシーの人を対象にした、いろいろな視点の動画などのコンテンツが出てくるだろう。それが楽しみである。

そして、この動画で少しだけ変わった点といえば、ダルマガエルのくだり。
擬人化されたダルマガエルは言う:

ぼくらカエルの仲間の多くは、人間が作ってくれた田んぼのおかげで、生きていけるんだ。田んぼの水のなかにはびっくりするくらい、いろんな生き物がいるんだよ。

そうだね。とかくエコの世界では、「人間の存在=地球にとって害」という図式で語られることが多いけど、「相互」依存ということはヒトの存在も地球全体のエコシステムのなかでは役立っているということ。当たり前だけど、見落としがちではないだろうか。

極端に走らずバランスをとるためにも、大事な視点。

パタゴニア創業者が語るCSR

アウトドア用品の「パタゴニア」。

アウトドアに関することなら衣料品、バッグや靴などラインナップは幅広い。 と同時にこの会社は、環境保護に力を入れる会社としても知られている。「売上の1%か利益の10%の高いほう」を環境団体に寄付することを企業のコミットメントとしている。 そのコミットメント初年度の1985年には、1000以上の団体に合計2500万ドルを寄付した。 また、その1%の理念を体現した国際団体である「ワン・パーセント・フォー・ザ・プラネット (One Percent For The Planet): 地球に1%を」の創設メンバーでもある。ちなみに同団体にはパタゴニアの他、ソニー・エレクトロニクスなども加盟している。 また、今やユニクロもやっているけれど、ポリエステル、フリース、ナイロン、コットンなどでできた自社製品の回収やリサイクルを実施している。

そのパタゴニアの創業者がイヴォン・シュイナード氏。
氏が、企業のCSRについて語る動画。

・・・少々長いが、なかなか良いこと言っている。実績に裏打ちされた言葉は重いね。 ある1点の懸念を除けば、シュイナード氏の主張は、あらゆる企業が範とすべき姿勢だ。

懸念とは、この企業が、あのシー・シェパードを支援している企業の1つ、ということ。ただし、パタゴニアのサイトにもシー・シェパードのサイトにも、かつては間違いなくあったスポンサーシップの記述が現在は削除されているみたい(探せないだけかも)。 さすがに世間の批判はすさまじかったのかな。

(下)これが2008年1月時点でのPatagoniaとしての公式見解とのこと。(ネットを漁る限りでは)

Patagonia has supported Sea Shepherd’s overall efforts to protect our ocean’s biodiversity at times over the past 15 years. We, as a company, support a wide range of front line activism and grassroots organizations that are part of a vibrant and diverse environmental movement. Patagonia is aware that Sea Shepherd engages in direct actions as one of their approaches to protect and conserve marine ecosystems
パタゴニアは、シー・シェパードの過去15年以上にわたる海洋生物多様性保護活動を支援してきました。私たちは一企業として、多種多様な環境運動を形成する活動であれば、それが「前線寄り」であっても「草の根」であっても支援してきております。 パタゴニアは、シー・シェパードがどちらかというと「直接的な」やり方で海の生態系を守る活動を行っているということを認識しております。
[via: UKCliming.com /viewed on 2010.03.14 /翻訳Ekojin]

・・・なるほど。 これをどう判断するか。 シー・シェパードの活動には全面的に反対だけれど、すぐにパタゴニア製品の不買、、、と結びつけてよいものか。 アメリカ政府が主導するイラク戦争に反対であっても、アメリカ政府が発行した国債を買う大手の金融機関(=つまりほとんどのメガバンク)に預金をすることが倫理的に間違っている、とは直ちに言えないところがある。 そもそも、パタゴニア社の現時点の見解が不明、とくればなおさら。

自分のライフスタイル的にパタゴニア製品には特にニーズはない。もう少し、事態の推移を見守ってみる。

ブラックバス料理が窮地に

商売って、なかなかうまくいかないものですなあ:

琵琶湖の生態系を脅かしている外来魚・ブラックバスを食べて数を減らそうと、滋賀県庁食堂が2007年から出していたブラックバス料理が、(2010年)2月末で中止された。
仕入れ価格が上がったことが理由だが、頻繁に注文する人もいる“人気メニュー”だったため、県庁内からは「特別な日だけでもいいから続けてほしい」と惜しむ声が上がっている。
[2010.03.12付 読売新聞(Web版)/補足&強調Ekojin]


ブラックバスのてんぷら
["芦ノ湖丼"/Author:Yamaguchi Yoshiaki /cc-by-sa2.0]

琵琶湖の外来種の問題は、ブルーギルを中心に何度か採り上げてきた。 滋賀県もあの手この手でこの魚たちを何とかするべく手を打ってきていたのだけれど、そのなかでも県庁食堂で供される「ブラックバス料理」は人気が高かったみたい。 週代わりのブラックバス料理は、グラタンやかき揚げなど100以上もある、というからもうすっかり定番の食材、ということだろう。 割と低価格で栄養価の高い白身魚とくれば、料理人も腕が鳴るのではないだろうか。

ただ残念なことに、この県庁にブラックバスを卸す流通コストの問題があり、ビジネスとしては苦戦してたみたい。県庁の目の前に琵琶湖はあるけれどそこで捕れたものを県庁に卸していたわけではなく、守山市や大津市北部から納入していて、その輸送費が高騰しているのだという。 地図で見たけれど、確かにそれらの市は県庁からは遠い。 でも逆に、県庁の近くの琵琶湖畔ではダメなのだろうか、という疑問も、琵琶湖行ったことのないシロウトとして感じてしまった。 水質の問題?「漁獲」量の問題? ・・・あるいは委託業者の事情?? わからない。

ブラックバス料理を楽しみにしている人のニーズはありそうなので、なんとかならないものかね・・・。 ともかく、このブラックバスに関しては、クジラやマグロと違って「乱獲」と言われる心配だけはないので。。。

COP10に向けた広告連携

うーん。いくら日経産業だからってこれは・・。

環境に特化した映像情報をインターネットで配信するグリーンTVジャパン(東京・渋谷)は中部日本放送(CBC)と連携し、環境問題に関心を持つ視聴者などに向けた新たな広告手法を開発する。
まずCBCが制作する伊勢湾などの生物多様性を描いた特番のサイトとグリーンTVジャパンの生物多様性専門サイトから互いに相手のサイトに入れるようにすると同時に、特番の協賛企業が両サイト上にバナー広告を掲載する。
[2010.03.08付 日経産業新聞/補足&強調Ekojin]

グリーンTVジャパン
CBC (中部日本放送)

(下)グリーンTVジャパンの動画(例)

・・・ええと、CBCの環境啓蒙番組の専門サイトとグリーンTVジャパンの関連ページを相互リンクして、同時に環境系クライアントが両サイトにバナー広告を一括配信できる・・・。 ってことだよね・・。新しい広告手法でも何でもない気がするのだけれど。。よくあるよこの手の広告。 日経産業の環境面、ネタなかったのかなあ。

まあそれはともかく、CBCがカバーする名古屋市では生物多様性条約締約国会議(COP10)が控えており、その認知度向上、という目的もあるみたい。この連携広告が奏功するかはわからないけれど、議長国としての日本は内外に取り組みをアピールをしなければいけない。

・・・ちょっとグリーンTVジャパンの映像、面白いのもあるみたいだから見てみる。

海の動物もCO2クレジット化

興味深い・・・。

⇒BBCの記事: 「捕鯨がCO2排出を悪化させている
要約:
約100年間捕鯨を続けると、1億トン以上のCO2が排出される。13万平方キロメートルの森林を焼くのと同じくらいだ。その巨大な体の中に蓄えられたCO2は、自然死すれば海に沈んで海中に溶け込むが、殺して陸に引き上げると大気中に排出されてしまう。クジラは食物連鎖の頂点にあるため、CO2を体に溜め込む、という役割を担っている。

・・・捕鯨については反対の立場だけど、これはあまり反捕鯨の論拠としては説得力があるとは思えない。「蓄える」役割にしてもそれが排出されてしまうことについても、クジラだけの問題ではないと思う。海の生き物すべてに言える話なのではないだろうか。イワシやサーモンやロブスターだって、CO2を蓄えるが、ヒトはそれを捕って食べてしまう。

むしろ、このBBCの記事で興味深かったのは、こんなことに言及している部分:

魚にしてもクジラにしても、その蓄えられた炭素量を元に漁獲割当量を各国に配分し、排出権のように取引するというアイデアがある。排出権取引と同様、その経済的制約が漁獲制限を促したり、海洋種の保存に向く可能性がある。

なるほど。今は森林の「炭素吸収量」がクローズアップされており、例えば植樹による炭素吸収量の増加、あるいは伐採による炭素吸収量の減少、という定量的測定が定着しているけれど、これを海の生物全般にも拡げられるのではないか、ということか。
確かに動物は自らは光合成をしないが、炭素は体に貯蔵している

陸の動物は、陸の植物を食べて自然死すればその炭素は大気中に還るだけであり、この考え方は使えない。だけど海の動物は、海が大気から吸収した炭素が動物の体内に取り込まれ、死ねば大気ではなく海に留まる。従って、大気中の炭素量は減ることになる。

そして、そのことに経済原理を導入すれば、確かに成果が出せるかもしれない。検討の余地はあるのではないだろうか。

クジラって必要?

「捕鯨」を巡る議論が熱い。

シーシェパードの妨害行動は論外としても、日本の捕鯨活動に、きわめて冷静な立場で反対する人は多い。オーストラリアとニュージーランドが、「日本が調査捕鯨を止めなければ国際司法裁判所に提訴する」と表明した。今の日本は、南極海で「調査捕鯨」を行っているが、その調査捕鯨すら認めない、という立場だ。もうクジラを捕ることは止めないか、と主張している。

日本政府、及び主なマスコミは「調査捕鯨はIWCが認めている合法的な行為であり、生態系には影響を与えない範囲で行っている。諸外国の反捕鯨の意見は幾分感情的であり、科学的ではない。食文化や資源政策上、そのような感情的な意見に左右されて、極めて科学的な実証に基づく権利を阻害するべきではない」、あるいは「牛肉は良くて鯨肉がダメな理由はわからない」という立場。 多少尖った意見の中には、「かつて鯨油のためにクジラを乱獲したのはむしろ西欧諸国ではないか。いま反対するなんてご都合主義的過ぎる」という意見もある。

こういう、とても理性的な捕鯨議論の場もある。

・・・Ekojinの立場を明確にしておく。Ekojinは、現時点では捕鯨に反対だ。

理由はひとこと: 「国際世論を納得させる説得力がない。

・調査捕鯨なら、食用にすべきではない。少なくとも、その目的が逆転している誤解を世界に与えている。
・科学的に「絶滅の危機がない」と言っても、それが国際会議の場で説得力を発揮していない。
・「クジラを捕るのは残酷」という意見が感情的であると同じくらい、日本側の「クジラを捕って何が悪い」という意見も感情的に映る。
・クジラを捕ることは、日本にとっても、あるいは世界の誰にとっても、必須ではない。

・・・複数の外国人の知り合いに詰められたことがある。
「日本人は、”調査”捕鯨と言いながら、結局喰ってるじゃん」
「何のために南極海に行くの?」
「資源がないからといって、クジラを資源と見なすのは飛躍しすぎ」

このひとつひとつに、いちいち納得する。上記リンクのサイトのように、捕鯨の正当性を訴える理性的なサイトを熟読した上での結論。

日本の捕鯨には理由がない。 特に、「食文化」及び「資源」というキーワードには説得力がない。

食文化???

もし食文化というのなら、「調査捕鯨」というお題目はなんなのだろう。
目的が違うのではないか。 少なくとも、そう思わせているのではないか。
調査捕鯨という名目で、結局食べる為に捕っている、、、、 と思わせてしまっているのではないか。

そして、クジラを再生資源と見なす意見もあるようだ。いわく、石油などは使えばなくなるが、クジラなどの生物は再生能力がある、と。

これこそおかしい。クジラである必然性がまったくない。クジラだとしても日本がことさら主張できる権益でもない。なぜ世界のクジラの生態系の調査主体が日本なのだろう。

国際法秩序からして、日本の捕鯨は分が悪い。 日本の言い分はあまり説得力をもって受け入れられてない。捕鯨の正当性を主張すればするほど、世界からは反発が来る。 そして、そういう状態である以上、どんなに納得できなくても従わなければいけないのではないだろうか。それが理性ある先進国の取るべきスタンスなのではないだろうか。

ともかく、イルカの殺し方すら非難の対象となっている現在、捕鯨を続ける理由は別にないように思える。 調査捕鯨は、いったい誰のためにやっているのだろうか。少なくとも、自分にとっては不要である。 これだけ世界の反発があるなかで続けるメリットを感じられない。資源の供給を含むあらゆることが、他のものに代替可能だと思う。 唯一、「捕鯨に携わる人たち」の雇用問題を除いて。

「調査キーウィ」や「調査サンショウウオ」や「調査バオバブ」や「調査ラフレシア」、、、を日本政府が積極的に進めない理由はなんだろう。何故「調査クジラ」だけが、こんなに手厚いんだっけ? 調査オランウータンとか、やってる? あれだって絶滅しかかってるよ。 調査スマトラトラは?

別にクジラに感情移入しているわけではない。殺すときに動物を苦しめることについては他の動物もそうだから、クジラについてのみ何かを思うことはない。クジラは知能が高いから殺してはいけない生物だとも思わないし、捕鯨が特別残酷だとも思わない。 ただ、捕鯨の正当性の根拠に説得力がない、と思うだけだ。

捕鯨を止める代わりに、何かの外交上の見返りを得ることも軽蔑しない。むしろそのくらいしたたかな外交であって欲しいと思う。

繰り返すけど、シーシェパードは論外ですよ。あれはテロリストなので。

多様性教育 (Diversity training) と生物多様性

アメリカのなかでも特に保守的な地域に住む住民たちが、
ナチスによるユダヤ人大量虐殺、いわゆる「ホロコースト」をユニークな方法で
研究する様子を描いたドキュメンタリー映画を紹介するTV番組で、
多様性教育 (diversity training)」 という言葉を知った。

アメリカほど人種や宗教が多様な国も珍しいが、
同時にまた、その多様性が地域により偏る傾向がある国も珍しい。
一生WASPに囲まれて暮らす人々がいる。
進化論が学校教育で禁止される地域がある。

だから、多様な人種や宗教の「存在」を「理解」し、「尊重」することを目的に、
多様性教育」というものが行われることがあるらしい。

「異なる人たちがいて、異なる考え方をして、異なる神を信じて、異なる言語を使う」
そういう人が世の中にはいる。その存在を正しく認識しよう、ということだ。

一見素晴らしそうに聞こえる。
多様性の認識の無いところに相互理解は生まれない。

しかし、これはなかなか難しい問題。
かえって逆効果じゃないのか、という意見がある。
違いを際立たせることは、むしろ「共通」の理念が無視されることでは。
同じだが、違っている」という矛盾した教育にならないか。
むしろ、「いかに同じか」を強調するべきではないのか。

(下)多様性を紹介する動画の一例。しかしコメント欄は否定的なものが多い。

・・・翻って、環境問題の領域である「生物多様性」についてはどうだろう。
動植物など生き物たちの多様な違いが調和を生む、という思想だ。
そのことを教えることもまた、何かを犠牲にしたり、逆効果を生む恐れがあるだろうか。

個人的には、無いと思う。

生物多様性の教育のポイントは、
異なることの強調ではなく、「多様性が調和を生む」ことの方だ。
多様性が失われると、生物世界を構成する大きな環が崩れる、という話だ。
もちろんヒトと他の生物は生物学的には「同等」であり優劣はない。

地球自身を生物種のように見なす「ガイア理論」とまでいくと哲学の領域にまで踏み込み、
科学的実証に耐えうるか、という問題があるけれど、

少なくともその地球上に、
多様な生物が多様なものとして存在していること」。

これは積極的に広げ、継承していかなければならないことだと思う。

自然との調和を「アバター」に観る

アバター」を観た。
2009年12月に全世界で公開開始して、
たった20日間で世界興収歴代ランキング2位。
1位の「タイタニック」を抜きそうで、両映画ともジェームズ・キャメロン監督。

映画ブログのほうでは「映画作品」としての感想を書いておいたけど、
ここでは別視点で。

・・・この映画はただひたすらにキャメロン肝いりの映像美と、
映画史に刻まれる圧倒的な特撮を楽しむ映画(WETAとILMが組んだ!)なので、
ストーリーは実にシンプル。「宇宙版ポカホンタス」、以上。(あらまあ)

ナヴィたちの「神なる大木」の下に眠る貴重な鉱物資源を略取しようと、
人間が愚を冒す。 ナヴィたちを「木の上で眠る未開人」と決めつけ、
「木なんていっぱいある。引っ越せばよい」と嘯く。
近代兵器の刃が自然との調和を切り裂き、神聖な森を汚す。

ナヴィたちのアニミズムにおいて尊崇の対象は「エイワ」という神性。
大自然そのもの。衛星パンドラの植物の、互いに連携した根は、
人間の脳を凌駕する(と本作では暗示的に述べられてる)神経結節点を持ち、
寡黙に、しかしときに苛烈に「調和」を維持しようとする。

・・・CNNによれば、デジタル3Dの見事な映像に虜になり、現実世界を厭う人が続出とか。
まあそれは言い過ぎとしても、あの架空の自然の美しさには本当に息を呑む。

架空だって?
人間って愚かだね。

だって、自分たちのそばにあるそれら「美しい自然」は壊しておいて、
作り物の映像で見て感心し、息を呑んでいる。
自然を壊す人間たちと、自然を愛する原住民の戦いを題材に、
「自然を壊してはダメ」だというメッセージを投げかける。
自然との調和を重んじるほうが善で、
利己的に自然を破壊するほうが悪として描かれ、観客は喝采する。
完全に自虐だ。

擬人化された自然たるナヴィたちは「故郷を守るために戦おう」と叫ぶ。

しかし、我が地球の動物たちはどうだ。
調和の取れた住処を荒らされるビーバーやクマやモグラの声なき叫びは
耳に入らないのだろうか。
ナヴィたちの戦いは正当化された権利として描かれるが、
毛皮のため、ダム建設のため社会を奪われる動植物たちや昆虫たちの権利はどうだろう。
そんな権利などない? ならナヴィにもないはずだ。

商業的なドラマツルギーによって単純化された大作映画に、
それら野暮を言い立てても仕方ないけれど、
要するに人間は大いなる自己矛盾を抱えている。

3Dの仮想世界などではなく、この現実でそのことに気づくことが必要だと。
改めて強く思う。

生まれてきてすみません(?)

またアンチ鳩山さんが大騒ぎしそう:

鳩山由紀夫首相は(2010年1月)14日、首相官邸で開かれた温室効果ガスの25%削減に向けたイベントであいさつし、「地球から見れば、人間がいなくなるのが一番優しい自然に戻るんだという思いも分かる」と述べ、独特の世界観を披露した。
首相は「いま1日100種類の命が失われている」と指摘し、生物多様性の重要性を強調。その上で「人間が存在しているからこそ、このような地球になっていることを謙虚に認めなければならない」「地球を襲っている人間という生物が犯している大きな誤りの1つが、地球の温暖化現象だ」と語った。
[2010.01.14付 MSN産経ニュース/補足&強調Ekojin]

・・・実際はこのあとに、「その結論(人間がいなくなること)はとりたくない」
との言葉があったみたいです。

以前に読んだ本もまさに「人類がいなくなる」ことがテーマだった。
人類は地球にとって害悪でしかないのか。「生まれてきてすみません」か。

もちろん、鳩山さんの言葉は生物多様性の重要性を訴える文脈だから、
大げさな喩えではないはずだし言ってることも正しいと思うのだけど、
余計な論議にならなきゃいいが・・・。

むしろ大事なことは後半だ。

人間が存在しているからこそ、このような地球になっていることを謙虚に認めなければならない

・・・そうなのだ。
まずこの謙虚な気持ちと現状認識を持つことが大事だ。
いくら見たくないからって事実は事実だし、
それが僅かな部分では自分のせいかもしれない、という気持ちだ。

なんだろ、「悪い現状を認めたくない人」「他責にしようとする人」って結構多い。
それが何かの負担を強いる結論であればあるほど。
そして、こういう議論になると:
「エコだなんだというならあなたが地球からいなくなればいい。
 それがなによりのエコだ」
という子供みたいなことを言う人がいて困る(たまにだけどね)。
何の生産性もない意見。

経済効率の問題ではなく道徳心の問題なのに
打算ですべてが説明できるはずもないのに。

1日100種類か・・・。 重い数字だな。

愛知COP10を応援!

応援しないわけにはいかない。
愛知で2010年10月に開催される「生物多様性条約第10回締約国会議」(COP10)。

公式ロゴ:

公式スローガン:
(英語) Life in harmony, into the future
(日本語) いのちの共生を、未来へ
[環境省 2009.10.13発表資料より]

↑の折り紙のロゴ、大好き。お気に入り。

想定される主な議題は以下のとおり:
2010年目標の達成状況の検証及び新たな目標の策定
遺伝資源へのアクセスと利益配分(ABS)に関する国際的な枠組みの策定 など

二つ目の議題は、
遺伝資源」、すなわち一度失われると二度と復元できない
貴重な各生物の遺伝子情報へのアクセスの国際ルールを決める。
各国で遺伝子工学や進化生物学の研究が進んでいるが、
無秩序に遺伝子をこねくりまわして結果として
生物多様性を損なうことがあってはならない。

今後のバイオ世界で重要な枠組みを決める会議になりそう。
当ブログも応援しております。

進化を否定する人たち

進化論の正当性についての論争は、
なかなか日本人にはイメージしづらいところがある。

生物が原始的な生物から徐々に変化を重ね、
いまの生物種のすべてはそのプロセスの途上にある、という理論だ。
理論ではなくもはや事実である、
というのがドーキンスの立場であり、Ekojinも受け売りでその立場。
ただし、科学的な仮説は常に反証を受け入れる用意がある。
ドーキンス自身も以下のように述べている:

いつか、誰かがカンブリア紀の地層で哺乳類を掘り出すかもしれないが、その瞬間に、進化論はたちまち粉砕されてしまうだろう。言い換えれば、進化は反証可能な、それゆえに、科学的な理論なのである。
[リチャード・ドーキンス著「進化の存在証明」/早川書房/2009 /強調Ekojin]

(下)進化論を主張したダーウィンを猿の体で皮肉った風刺画

そんな理論が、多くの学問分野で実にゆるぎない証拠を積み重ねている。
聖書の記述に基づく創造論では、単に「聖書にそう書いてあるから」という理由だけで、
それらの証拠能力を否定している。
ちょっと受け入れるのに苦労する理屈だ。
だって、聖書にそう書いてあるとどうして事実なのか、
という疑問がさっぱりわからんのです。

信仰心がないからわからないのか?その通りだろう。
神が生物種をすべて創った」など、
信仰を持つ人だけが信じられる理論だろう。
日本人が進化を受け入れる割合がかなり高いのも、
そのことと無関係ではないはずだ。
最近は「神」を「高度な知性」と言い換える「インテリジェント・デザイン」
という説もあるようだけど同じことだ。

アメリカのケンタッキー州に驚くべき博物館があるらしい。
その名も「Creation Museum (創造論博物館)」。
そこでは恐竜と人類が同時代に存在したという前提で展示が成されている。
そりゃそうだ。なにせ「世界は6000年前に生まれた」のだから。
恐竜と人類もすべては同時に誕生したのだ。
⇒「地球の歴史が一万年以上もないと見られる証拠
(あまりにも馬鹿馬鹿しくて反論する気が・・・)

無神論者たちが博物館を訪問:

・・・うーん。
例えば南京事件で殺された人数について日中で論争がある。
地球温暖化は嘘じゃないか、っていう論争もある。
邪馬台国は畿内なのか九州なのか、っていう論争もある。

それらもそれぞれ「仮説」。

では進化論と創造論もそれぞれ同等に扱われるべき「仮説」なのか?
違うと思うなあ。
だって、「月面にあまりチリが積もってないから月は4000年前にできたのだ」
っていう主張だよ??
荒唐無稽すぎて話にならん、って感じ。

歴史を否定したいのなら、「信仰者のコミュニティ」の世界から飛び出さずに
やっていればよいのに、
そういう科学的手法で説明しようとしないほうがよい、と思うわけです。

シー・シェパードの矛盾

当ブログでも何度か採り上げているけれど、
「シー・シェパード」の無法ぶりには本当にあきれ返る。

シーシェパードの「アディ・ギル」号が日本の捕鯨船に衝突し、大破した映像:

シー・シェパードは第2昭南丸(捕鯨船)の船長と乗組員を、
海賊行為の疑いとしてオランダ司法当局に訴えたそうだ。

・・・海賊??

捕鯨の善し悪し以前の問題。
オーストラリア政府もいまいち態度を決めかねているようだし、
それなりにシー・シェパードに反対する世論も醸成されてきているようで
少しは安心したけれど、
正しい主張を通すためには手段を厭わない
というのはテロリストの論理そのものだ。

Ekojin的には、捕鯨の必要性はあまり感じていないし、
何より「調査捕鯨」という名目で食用のクジラを捕っている現状はよくないと思う。
少なくとも国際世論に誤解される主因はそこにあると見ている。
国際法秩序の抜け道を探してでも守らなければいけない食文化だとは思えない。
さらに、小型のクジラであるイルカを捕って、
それを鯨肉として売っている(少なくともそう見られている)ことも、
余計な誤解に拍車をかけていると思う。

従って、個人的には、現時点では捕鯨に反対
「食用のクジラを捕ること」が国際法的にどうしても認められないのであれば、
それは日本の我を通してはいけないと思う。
勿論、日本の捕鯨当局がさまざまな科学的データを使って、
一定数の捕鯨の正当性を訴えていることは知っているけれど、
それでも各国を説得できないなら諦めるしかない。
国際法秩序というのはそういうことではないのか。

だけど、そのことと、
環境に名を借りたテロ行為の正邪は全く別次元の問題だ。

シー・シェパード支持者は、環境を汚しかねない衝突行為や
薬品攻撃についての矛盾は感じないのだろうか。

生物多様性の目標設定

2010年10月に名古屋で開催される生物多様性条約締約国会議(COP10)に向け、
日本が提案を出した。

政府は(2010年1月)7日、10月に名古屋市で開かれる生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)に向け、2010年以降の生物多様性保全の新たな国際目標に関する日本の提案を決め、条約事務局に提出したと発表した。日本はCOP10の議長国を務める。
[2008.10.24付 共同通信/強調Ekojin]

⇒外務省の発表資料

[2050年までの中長期目標]
人と自然の共生を世界中で広く実現させ、生物多様性の状態を現状以上に豊かなものとするとともに、人類が享受する生態系サービスの恩恵を持続的に拡大させていく。

[2020年までの短期目標]

生物多様性の損失を止めるために、2020 年までに、

  • 生物多様性の状態を科学的知見に基づき地球規模で分析・把握する。生態系サービスの恩恵に対する理解を社会に浸透させる。
  • 生物多様性の保全に向けた活動の拡大を図る。将来世代にわたる持続可能な利用の具体策を広く普及させる。人間活動の生物多様性への悪影響を減少させる手法を構築する。
  • 生物多様性の主流化、多様な主体の参画を図り、各主体により新たな活動が実践される。

条約事務局が各国からの提案をベースに2月中旬までに事務局案を作成。
それを各国に提示するそうだ。

日本提案では、それら目標達成のための
9つの個別目標」、「34の目標達成手法」も同時に提案している。

つまり、議長国として、
「中期ビジョン」「短期目標」「重点実施項目」「達成プロセス」をそれぞれ示した。
精読はこれからするけど、ざっと見た限り割とイメージがわきやすい内容。

・「生態系を守ることが大事だ」という共通認識をどう浸透させるか。
・生物学、遺伝学などの科学的知見をどう組み込むか。

という視点が薄いのかな、、、という印象だけど、そうでもないのかな?

動き、ウォッチします。

ヒトと人/進化の存在証明

進化の存在証明」(リチャード・ドーキンス著)を読んだ。

あまりにも有名な「利己的な遺伝子」をはじめ、
数多くの著作でダーウィン的進化論に基づく
生物進化を説いてきたドーキンス。

前作「神は妄想である」は、
対立する創造論者たちのあまりの非論理性に
業を煮やしたのか、現在の生物種の起源に留まらず、
「創造主としての神」そのものを完全に否定する、という
(一神教信者が多数の西欧世界における)「タブー」に
切り込んだ。

Ekojinは、「利己的な遺伝子」を読んでからというもの、
彼の明晰かつ博覧強記な論理展開には惚れ惚れしている者であり、
いわばドーキンス「信者」。
そして勿論、主に彼の著作に拠ることは白状せざるを得ないけど、
完全な進化論者。

創造論者はおかしいね。
だってさ、「今いるあらゆる生物は全知全能たる神が創りたもうた。以上
とだけ主張するならともかく、
「進化論はエネルギー保存則と矛盾している」 とか
「化石にミッシングリンクがないのはおかしい」 とか
「デザイナーがいないのにこんな複雑な生物が存在するわけがない」 とか、
要するに科学的な「論証」という手法を使って進化論を否定しようとしているわけだ。

だけど、今生き残っているすべての生物が、
太古に存在した生物を基点としており、
世代を重ねながら突然変異による生存可能性を結果的に高めていく、
というシンプルだが非常に合理的な(あるいは非常に経済的な)
プロセスを踏むことで様々な種の発生を経たこと、
すなわち生物が「進化」してきたこと。。
これは、化学的にも考古学的にも物理学的にも地質学的にも、
これ以上何を求めるのだ、
といわんばかりの「証拠」にあふれた「事実」であるのに、
創造論者たちはそれらの証拠には眼をつぶる。
なのに、自らが主張する根拠のほうには、
それらの各学問分野の手法を使おうとする。
そんなの、明らかに矛盾している。
科学的アプローチとは、科学的論証の論理性を認めることなのに。

いやむしろ、そのことに気づかない人が多数いる、
という事実のほうにびっくり。

ともかく、ドーキンスの著作はいつもそうだけど、
生物というこの(シロウトにとっては)摩訶不思議な存在が
本当に身近に、「親戚のように」感じられる。
(ドーキンスは芋虫だろうがウニだろうが黒カビだろうが、
 文字通りの我々の「親戚」だ、と論証しているわけなのだけど)

ヒトがサルのような風貌の祖先から進化したことを認めたところで、
人が築き上げた思想や文化の尊さはいささかも失われない。
むしろ、現在もなお進化の途上にある一生物の一員としての謙虚さ、
という新たな自己認識がある。

「ヒト」は特別ではない。
だけど、「人」はやっぱり特別だ。

だって、
過去を知ることで未来を思える。他者を慮れる。利他的な道徳がある。
他の生物を尊べる。地球を愛せる。環境問題に取り組める。

そんな種の一員であることを誇りに思う。

生物多様性を考える年

新年明けましておめでとうございます。

今年(2010年)は「生物多様性年」。

北海道・知床半島。国の天然記念物、シマフクロウが姿を現し、目に留まらぬ速さで川の魚を鋭いつめで押さえ込んだ。
 全長約70センチ。翼を広げると1.8メートルになり世界最大級だ。かつては北海道全域に生息していたが、森林の開発とともにその数を減らし、今では120~130羽に減少、絶滅が危惧(きぐ)されている。
 国は平成5年から保護に乗り出したが微増にとどまっている。
 平成22(2010)年は国連の国際生物多様性年。人類は種の絶滅の速度をここ数百年で1千倍に加速させてきた。生物多様性とは生物とその生息環境を守り、将来世代に伝えることを意味する。
[2010.01.01付 MSN産経ニュース/補足&強調Ekojin]


シマフクロウ
[PD/Wikimedia Commons]

10月には名古屋で「生物多様性条約第10回締約国会議」(COP10)が開かれる。
昨年末のコペンハーゲンCOP15は、「気候変動枠組条約」。
こちらは、「生物多様性条約」の締約国会議(=COP)だ。

約190ヶ国が締結している生物多様性条約では、
現在の生物多様性の損失速度を2010 年までに顕著に減少させる
という目標がある。
その各国進捗報告が名古屋で開催される。

人間の活動に関わらず、生物種は絶えず進化してきた。
これまでにも多くの生物が絶滅した。
だから、生物種が減ることはむしろ自然減少。
ただ、その絶滅のスピードが最近急激に増している。
地球温暖化もそうだけど、この議論も「人為的か否か」の両論がある。
そのせいかどうか、「損失速度を減少させる」という微妙な表現になっている。

今年は、「生物多様性」を一つの注目テーマとしたい。
さて。

大坂城陥落?

太閤さんのお城も、外国からの城攻めには勝てないのか。

大阪城の堀に、北米原産のブルーギルやブラックバスが大量に生息していることが、追手門学院(大阪府茨木市)の研究者の調査で確認された。
人為的に放された外来魚が、天敵のいない閉鎖水域で大繁殖したとみられる。各地の城の堀で同様の問題が起きており、研究者らは「堀は『外来魚天国』。生態系を損なう恐れがあり、対処が必要では」と指摘する。
[2009.09.12付 読売新聞(Web版)/補足&強調Ekojin]


大坂城
["OsakaCastle-MainTower02"/Author:Inoue-hiro /cc-by-sa3.0]

・・・在来種(フナやウキゴリ)が食べつくされてしまっている可能性があるらしい。。。
改めて、外来種によっていとも簡単に生態系が崩れるってことにびっくり。

これを元に戻すのは並大抵のことでは難しい。
より詳しい生態調査の上で外来種だけを選別して捕獲するなど、
地味でコストのかかる仕事になる。
(電気ショックを流して、浮いてきた魚たちから外来種だけを除く、、、。)

大阪の財政難は有名。
大阪市としては、将来的に調査が必要だと認めているけど、すぐには難しいというスタンスらしい。
分からなくはないが、ちょっと焦ってしまう。
やっぱり見えない部分は後回し、、になりがちだよね。。。

それにしても何も考えずに堀に放してしまった釣り人よ・・・・。
こんなに大変なことになるとは思っていなかったんだろうなあ。
罪悪感がなかったと思われるだけに余計やっかい。
地道なリテラシー向上に努めるしかない。。

ブルーギル育ちのチキン

琵琶湖のブルーギルが、ニワトリのエサとして活躍中!

これまで、琵琶湖の「厄介者」であるブルーギルについては、
ブルーギル・バーガーやら、ブルーギル・もっふるたんなどを紹介してきたわけですが、
どれも安定的需要とは言い難かった点は否めないかな、って感じでした。

ただ、今回のは結構期待できそうです。

トウモロコシなど輸入穀物の値上がりが続くなか、琵琶湖の外来魚、ブラックバスやブルーギルが養鶏飼料の原料として注目されている。生態系を乱す厄介者扱いだが、栄養価が高く、大量に調達できる点が歓迎され、一風変わった「地産地消」の試みが動き出した。
京都府城陽市の養鶏場。10万羽のニワトリのうち、約700羽が魚粉入りの飼料をついばむ。琵琶湖でとれた外来魚を加工した魚粉1に対して、国産の玄米などが3の割合で混ぜ合わされた飼料だ。京都養鶏生産組合が5年前から実験的に与えてきた。
[2009.01.29付 asahi.com /補足&強調Ekojin]


養鶏場のニワトリたち
["Poultry Farming"/Author:Ikhlasul Amal /cc-by-nc2.0]

この白身の外来魚を使った魚粉エサは、なかなか良いみたいです。
粉砕したブルーギルを丸2日ほど発酵させると、
栄養吸収効率の高い飼料が作れる、とのこと。

そして、肝心のチキンの味について:

滋賀県特産の「近江シャモ」300羽に、この飼料を140日間与えたところ、通常のエサよりも体重が約1割増えた。肉の味についても、100人中60人以上が「好む」と答えた。久保教授は「従来のエサよりも少量ですみ、コスト削減につながる」と期待している。
[2009.01.29付 asahi.com /強調Ekojin]

・・・うーん、これは期待できそうだ。
なにせ畜産飼料だし、安定需要が見込めそう。
大量に捕らえて捨ててるくらいだから、安定供給も問題なし。
地産地消だ。

工夫が工夫を生み、環境保護とビジネスが両立する。
素晴らしい!

「ブルーギル・バーガー ポテトはMで」

ブルーギル。

Bluegill
[PD/Wikimedia Commons]

琵琶湖はじめ日本中で大繁殖し、湖の生態系を壊しちゃってる話題の魚。
何が話題かって、魚類学者でもある今上天皇が皇太子時代の1960年に食用として
日本に持ち込んだのが発端で、しかも、そのことについて、彼自身が、

「外来魚の中のブルーギルは50年近く前、私が米国より持ち帰り、
水産庁の研究所に寄贈したものであり、当初、食用魚としての期待が大きく、
養殖が開始されましたが、今、このような結果になったことに心を痛めています。 」
[2007.11.11 第27回全国豊かな海づくり大会(滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール)]

という発言をしたことで一気に有名に。

その厄介者を退治しようと、滋賀県と国で毎年2億円もの予算を突っ込んで
あの手この手で駆除しようとしているけど、
小魚も水草も食べる雑食で、しかも汚染にも強いので、
その強烈な繁殖力に全然追いついてないのが現状。
「釣れたら湖に戻さないで持ち帰るかこっちの回収ボックスに入れて」
ってガイドラインすら出てる有様。その辺に捨てたら腐るからね。

ブラックバスもそうだけど、外来魚、強いねえ。ホントに。
アメリカザリガニもか。

だったら食べ尽くしちまおう、元々食用で持ち込んだんだし、って、
いろんな創意を凝らしたブルーギル料理が生み出されてるみたい。

滋賀県のサイト(⇒Catch & Eatの実践)には、レシピも。

・・・で、登場したのが、

ブルーギル・ハンバーガー

その名も、「エコ・バーガー」だって。
「環境を破壊する悪者を食べ尽くす」との触れ込み。
12月3日から福井大学の生協で試験販売されるとのことで、
興味半分だけど、食べてみたいなあ。

マクドナルドのフィッシュバーガーとして
商品化したら結構有効かもよ。
材料も「腐るほど」あるし。
釣り人もたくさんいるから一石二鳥だし。
白身だし。