Crash Course (2) ~成長は繁栄にあらず

真実が語られたときに起こる3つのステップ:

  1. 馬鹿にされる
  2. 強烈に反対される
  3. 自然に受け入れられる形で認められる

「成長」が「繁栄」を意味しない、という主張も同じステップを通るのだろうか。

経済的な成長は良いこと、とされている。 より成長すれば、より繁栄する、と思われているからだ。 成長は機会を提供し、我々は機会を欲している。 そういう理解が一般的。 しかし、この命題は本当なのだろうか。 成長は繁栄と同義??

という問題設定を立てている以上、修辞的に、そうではない、ということが言いたいわけだ。成長は繁栄を必ずしも意味しない。なぜか。

「成長」は「余剰」という概念を包含している。 何かが余るから、成長するわけだ。体重もそうだし、池の水深もそうだ。そして、余剰がある場合、成長か繁栄か、二者択一を迫られるときがある。ひとつの家庭で貯蓄がある場合、もう一人子供を増やすのか(=成長)、今のメンバーに振り分けて利益を享受するのか(=繁栄)、選ばなければいけないことがある。同時には満たせない。 この例はそのまま、町でも成り立つし、国でも成り立つし、全世界でも成り立つ。 つまり、成長は繁栄を必ずしも意味しない。

今まで同時に成り立っているように見えたのは、余剰エネルギーがあったからだ。 人々は、「成長」と「繁栄」両方を享受することができた。 ある試算では、現在の世界ではおよそ50%の余剰が「成長」に使われている。成長効率が50%しかない。、さて、これが100%になったらどうなるだろう。 我々は、いくら成長しても、何の繁栄も得られないことになる。

・・・人々はどういうときに幸せを感じるのか、という永遠の命題に通じるものがある。 経済的利益のはずがない、と個人的には思う。幸せに成りうる手段かも知れないけれど、それは目的ではない、と思う。 だから、経済的な成長(=儲ける)があっても、繁栄(=幸せ)がない、という状態は、悲劇的だとすら思う。 シシュフォス的な。

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